熱暴走のきろく。

自分の興味があることに関して書いていきます。主にPC関連、特にソニー。

君の名は。 観てきた & 秒速5センチメートル 観なおした

※ネタバレを含むかもしれません、まだ見てない人はブラウザバック。

 

 

新海誠の作品は数年前に、「秒速5センチメートル」「彼女と彼女の猫」「ほしのこえ」を順番は忘れたが続けて観て、秒速5センチメートルに感情移入しすぎて、次に観ようと思っていた「雲のむこう、約束の場所」を観る精神的体力が無くなってしまい放置していたのですが、新作がすごいということで観に行ってきました。

 

最近は映画館で3本、自宅で2本と、映画ばかり観ていたことと、ネタバレしてしまうのが嫌だったので、DVDや地上波放送まで待てず、さらには前情報もなるべくないほうが良いと思い、あらすじや予告映像、主題歌に至るまで触れないようにしていました(どうやらこの世の中は知らないままで観るということが難しいらしいことがわかりましたが)

 

つい先日東京に行ったばかりだったので、見覚えのある駅や街並み、地元の名古屋駅が出てきたときは震えました。それになんといっても、人物や風景の描写が素晴らしいと思いました。雨に濡れるアスファルトなんて実写よりも実写でした。二人の主人公を取り巻く環境や人々の描写も細かく、ひとりひとりの感情がダイレクトに伝わってきて、まるで自分がその世界にいるかのようでした。

 

終盤の並走する電車での二人の表情は、まさしく秒速5センチメートルを彷彿とさせ、でもあの作品とは全く異なる感情が、あの表情を生んでいたのが興味深かったです。

 

物語の中盤で、衝撃の事実が明らかになり、そこからの主人公の奮闘に惹かれました。映画の序盤からの伏線が回収されていき、興奮しました。

BD、DVDが発売されたら買うと思います。パンフは買いました。

 

しかし、涙は出ませんでした。観たその日は、良かった良かった、という衝撃が心を埋めていたのでその理由がわかりませんでした。

おそらくこの作品は、こういうものなのだと思います。物語の中で僕は笑い、泣き、感動し、喜びました。物語として、観終わったあとに引きずるものはありませんでした。続きが観たい、というわけでも、この結末は嫌だ、というようなこともありませんでした。

 

ところが一晩明けて、無性に、秒速5センチメートルを観たくなったのです。おそらく世間一般で言われていた評価として”バッドエンド”であったのは秒速5センチメートルで、救われなかった視聴者の心が、君の名は。で救われ、”ハッピーエンド”になったはずでした。

 

初めて秒速5センチメートルを観た時は、涙が止まらなくて泣きながら寝た記憶があるのですが、そこまで僕が感情移入した理由があります。

 

僕は小学生の時、好きな人がいました。まだ子供だったからか、周りのみんながすごく優しかったからか、お互いがお互いを好きだということがお互いに知れ、付き合っていました。それは今思えば”お付き合い”といえるものだったかは、今でもわかりませんが、僕の初恋はそのまま中学生まで続きました。この話をすると”マセている”と言われますが実は手をつなぐこともないまま別れたわけです。

それからしばらく、自分のどこがいけなかったのか、相手に何をしてやれたのか、なんて、子供ながらにしょうもないことを悩み続けていました。

 

高校生になって、僕は弓道部に入りました。朝練をするほどまじめにやっていたわけではありませんが、段位を取ったので”ほどほどに”部活動をしていたつもりです。恋愛感情としてまだ中学までの気持ちの整理がついていなかったので、”好きな人”といえる存在はいませんでしたが、”気になっている人”はいました。ただ結局、過去を引きずり続けた3年間で想いを伝えることはできませんでした。

 

大学生になって、何年振りかに初恋の人と再会しました。そこで僕は、何かしら後ろめたさというか、お互いに思うところがあって悩み続けていたらしいことを知りました。同時に、もう一度やり直すだとか、友達以上恋人未満のような関係になれるだとか、そういったある種の自分たちの”未来”が存在しないことを思い知りました。それからしばらく経ちますが、もう連絡を取っていません。

 

来年から僕はパソコンに向かう仕事をする予定です。ひどく気分の疲れを感じた時なんかは、たばこも吸うようになりました。

 

秒速5センチメートルを初めて見たときは、主人公に自分が重なって、切なくてたまりませんでした。そこには少なからずうぬぼれと、今よりもはるかに純粋で幼い心がありました。

久々にもう一度、観なおしてみて、自分は泣きませんでした。胸がひどく締め付けられる感覚もさほどなく、なんだか拍子抜けした気分です。

 

君の名は。のパンフでのインタビューで新海誠監督がおっしゃっていました。

 

「(秒速5センチメートルは)僕としてはバッドエンドを描いたつもりはなかったんです。そう思わせてしまったとしたら、そこはもう技術の問題だな、と。」

 

僕はもう一度観なおして、監督のおっしゃる通りこの作品は”バッドエンド”ではないと感じました。ただ、当初”バッドエンド”だと感じたのは、受け取り手の僕自身の心の幼さと、受け取る技術の未熟さでした。この作品は自分と重ねやすい要素が多かったばかりに、受け取り方を間違えてしまっていたようでした。いえ、その受け取り方も当時の僕には正しく、それによって流した涙は決して無駄ではありませんでした。ただ、作品に込められた本当の意図を受け止められなかった、それだけです。

 

おそらく僕はまたしばらく経って、もう一度秒速5センチメートルを観るのでしょう。君の名は。も観ると思います。そしてまた、違った感想を持つのでしょう。次は泣いてしまうかもしれません。やっぱりバッドエンドだ、と言うのかもしれません。

 

毎年春になると桜の花びらが散るんでしょうけれど、全く同じ軌道を描いて落ちることはないのです。それはその時の空気の流れと、花が咲くまでに伸びた枝の長さと、桜の花びらが落ちる状況を構成するものが複雑に絡み合った結果です。

 

今はその秒速5センチを、大切にしたいと思います。